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熊本地方裁判所 昭和63年(行ウ)5号 判決

原告

加来一則

右訴訟代理人弁護士

立山秀彦

板井優

塩田直司

國宗直子

園田昭人

内川寛

森德和

佐藤克昭

訴訟代理人塩田直司復代理人弁護士

杉山潔志

中尾誠

訴訟代理人國宗直子復代理人弁護士

村山晃

被告

八代労働基準監督署長

村山嘉男

右指定代理人

増田保夫

外九名

主文

一  被告が原告に対して昭和五九年九月七日付けでした労働者災害補償保険法による療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、株式会社興人の八代工場において、二硫化炭素蒸気の曝露を受ける作業に長期間従事していた原告が、その疾病は業務に起因する慢性二硫化炭素中毒症であるとして、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく療養補償給付の支給を請求したところ、被告から不支給処分を受けたため、同処分の取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実及び括弧内掲記の証拠により容易に認められる事実

1  原告は、昭和二年一〇月一八日生まれであり、昭和二三年六月八日、二〇歳のときに熊本県八代市興国町一番一号所在の興国人絹パルプ株式会社(現商号・株式会社興人、以下「訴外会社」という。)八代工場に入社した。その後、昭和五三年一月一六日に同会社を退職するまでの間、昭和二三年六月八日から昭和四一年一二月三一日までは同工場のレーヨンステープル製造工程中の製糸課精練工程(現・製造二課精練係)において、昭和四二年一月一日から昭和四七年一一月三〇日までは仕上課乾燥工程(現・製造二課乾燥係)において、同年一二月一日から昭和四九年六月一〇日までは製造二課工程係において、同年六月一一日から昭和五三年一月一六日までは開発推進室(不織布担当)においてそれぞれ勤務した(争いがない。)。

2  原告は、昭和五七年九月二八日、痙攣、意識障害を起こし、同年一一月一〇日、くわみず病院の樺島啓吉医師によって慢性二硫化炭素中毒症と診断された(争いがない。)。

3  原告は、右慢性二硫化炭素中毒症は労働基準法施行規則(以下「労基則」という。)三五条の業務上の疾病に該当するとして、同年一二月一日、被告に対し、労災保険法に基づく療養補償給付の支給を請求した(争いがない。)。

4  被告は、右請求を受けて調査・検討したが、請求人(原告)の疾病は労基則三五条に定める業務上の事由による疾病とは認められないとして、原告に対し、昭和五九年九月七日付けで右療養補償給付を支給しない旨の処分(以下「本件不支給処分」という。)をした(争いがない。)。

5  原告は、右処分を不服として、昭和五七年一〇月一七日付けで熊本労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同請求は、昭和六一年一月六日付けで棄却され、右決定書の謄本は、同月九日、原告に送達された。

原告は、さらに、同年三月七日付けで労働保険審査会に対し再審査の請求をしたが、昭和六三年五月三一日付けで再審査請求を棄却する裁決がなされ、裁決書の謄本は同年六月二三日、再審査請求人(原告)の代理人に送達された(争いがない。)。

6  熊本労働者災害補償保険審査官が原告の審査請求を棄却した理由の要旨は、以下のとおりである(乙一)。

二硫化炭素による疾病の認定基準(労働省労働基準局長昭和五一年一月三〇日付け基発第一二三号、以下「認定基準」という。乙三の二)を満たすものについては、労基則別表第一の二第四号の規定に基づく労働省告示第三六号表中に掲げる二硫化炭素による疾病として取り扱うこととされているが、これによれば、慢性二硫化炭素中毒に関しては、相当の濃度の二硫化炭素蒸気にさらされる業務に長期間従事した労働者が、二硫化炭素によると考えられる腎障害及び二硫化炭素性網膜症、または、二硫化炭素によると考えられる脳血管障害及び二硫化炭素性網膜症のいずれかに該当する症状を呈し、医学上療養が必要であると認められ、かつ、二硫化炭素以外の原因により発病したものではないと判断されることが要件とされているところ、

(一) 請求人に対する大阪大学医学部環境医学衛生学教授(当時)後藤稠医師の昭和五九年六月一八日付け鑑定結果(乙七)は、①高血圧の症状は認められるが、その推移を職場における曝露歴に照らすと、高血圧が二硫化炭素に起因あるいは関連があると推定し難い、②尿蛋白の推移からすると、尿蛋白が二硫化炭素に起因するものとは考え難く、固定した腎障害があったとも考えられない、③二硫化炭素性変化を疑わせる眼底所見が認められない、④請求人は自分の症状は業務上と認定された他症例のそれと酷似していると主張するが、他症例においては、二硫化炭素中毒に特徴的な症状が出ており、請求人の症状とは大いに異なることを併せ検討すると、本症例が二硫化炭素に起因すると考えるのは困難である等の理由から、請求人(原告)の症状は二硫化炭素に起因する疾病とは考えられないとしている。

(二) 会社産業医木屋俊夫医師の昭和五八年三月二九日付け意見書も、眼底所見に二硫化炭素性網膜症に関する所見がないこと、二硫化炭素の曝露を受ける職場を離脱後一七年を経過しているが、一七年も経過してその時期に二硫化炭素中毒症が発生するとは考えにくいことを主たる理由として、同様の判断を示している。

(三) 堀内眼科医院堀内四齢医師の同年一〇月二八日付け意見書及び昭和六〇年一月二一日付け意見書も、昭和四九年一月に診断した際、微細動脈瘤又は点状出血を疑わせる微小赤点が認められたが、二硫化炭素中毒に特徴的な微細動脈瘤又は点状出血と断定できなかったとしている。

(四) くわみず病院樺島啓吉医師の昭和五七年一一月一〇日付け診断書、熊本大学医学部遺伝医学研究施設疫学神経精神科原田正純医師の昭和六〇年八月二日付け診断書は、いずれも原告は慢性二硫化炭素中毒であると診断し、また、望月医院望月俊彦医師の昭和五八年五月一六日付け意見書も、患者の職歴、生活歴からみて、二硫化炭素の影響が多分に考慮されるとしているが、原告には認定基準の規定する二硫化炭素中毒性網膜症の所見が認められないから、これらの診断は採用できない。

以上の諸点を総合するならば、請求人には認定基準に該当する症状は認められない。

7  また、原告の再審査請求に対する、労働保険審査会の棄却裁決の理由の要旨は、以下のとおりである(乙二の二)。

原告は精練職場において相当濃度の二硫化炭素曝露業務にかなりの期間従事したものと認められる。しかしながら、原告には精練職場に勤務中二硫化炭素性網膜症の症状はなく、同職場離脱七年後に眼底に疑わしい所見が出現したが、これをもって二硫化炭素中毒症と断定することは困難であること、原告には昭和三〇年以来高血圧がみられ、昭和四五年以降加療の事実があるが、高血圧症の推移、尿蛋白の出現の状況、腎障害が存在しないこと等から典型的な二硫化炭素中毒症とは推認し難いことなどを総合すれば、慢性二硫化炭素中毒症ではない。

二  争点

原告の疾病の業務起因性

1  原告の二硫化炭素蒸気の具体的曝露状況

2  慢性二硫化炭素中毒症の病像

3  原告の疾病の状況

4  業務起因性の判断

第三  争点に対する判断

一  原告の二硫化炭素蒸気の曝露状況について

括弧内掲記の証拠及び当事者間に争いのない事実によれば、以下の各事実が認められる。

1  訴外会社八代工場の概要(甲一〇六、検証、弁論の全趣旨)

(一) 訴外会社八代工場は、八代市興国町一番一号に位置し、パルプの化学処理による化学繊維綿(レーヨンステープル)、セロファン紙、フィルム、合成繊維等を生産する化学工場であり、原告が勤務していた精練工程、乾燥工程等は、レーヨン製造工程に属する。

(二) レーヨン製造工程は、パルプを苛性ソーダ溶液に浸漬してアルカリセルローズを造り、これに二硫化炭素を添加してセルローズキサントゲン酸ソーダとした上、これを稀アルカリ液で溶解してビスコースを造り、このビスコースを紡糸機のノズルを通して紡糸浴(硫酸、硫酸亜鉛、硫酸ナトリウムの混合液)中に射出して凝固・再生させて繊維化し、さらにチップ状に切断し、水洗、脱硫等の精練を施した後、乾燥させてレーヨンステープル綿を製造するものである(別紙1「レーヨンステープル製造工程図」記載のとおり。)。

(三) 訴外会社八代工場は、右レーヨンの製造工程に従って二硫化炭素を製造する硫炭課、製造一課、製造二課に分けられている(ただし、製造工程の名称は、後記のとおり時期により変遷している。)。

(1) 硫炭課は、木炭と硫黄を反応ガマで熱して二硫化炭素ガスを造り、これを冷却・精製して使用可能な二硫化炭素として、製造第一課の硫溶工程に供給する職場であり、精製された二硫化炭素は、水を張ったプールの貯蔵タンクに貯蓄され製造一課に送液される。

工場創立以来、訴外会社八代工場に必要な二硫化炭素の約九〇パーセントがこの硫炭課で製造・供給され、残り一〇パーセント程度を他社から購入してきたが、昭和四四年四月、硫炭課は全面的に閉鎖され現在に至っている。

(2) 製造一課は、パルプから純ビスコースを造り出すまでの各工程をいい、浸漬工程、粉砕・老成工程、硫化・溶解工程、熟成工程、アルカリ係に分かれる。

イ 浸漬工程(位置・別紙2「八代工場機械配置図」の④、⑤)

選別されたパルプを浸漬機に投入し、そこに苛性ソーダを注入して浸潰反応を行わせ、シート状のアルカリセルローズを造る。

ロ 粉砕・老成工程(位置・別紙2の⑥)

浸漬機から押し出されたシート状のアルカリセルローズを粉砕し、これを一定時間一定の温度に保って老成した後、硫溶室内にある硫溶機に流し込む。

なお、浸漬、粉砕・老成の各工程は三階の浸漬室、二階の粉砕・老成室でそれぞれ行われていたが、昭和五三年三月、これらの工程を連動させて完全自動化したスラリー工程設備が完成したことにより稼働を中止し、工程は廃止されている。

ハ 硫化・溶解工程(位置・別紙2の⑧)

硫溶機に入ったアルカリセルローズに二硫化炭素を加えて化学反応させ、さらに稀アルカリ液で溶解してビスコース(粗製ビスコース)を造る。

ニ 熟成工程(位置・別紙2の⑨)

硫溶室で造られた粗製ビスコースを二次溶解させ、ろ過した後、熟成・脱泡し、紡糸工程に送る。

ホ アルカリ係(位置・別紙2の⑲)

アルカリ貯蔵タンクとアルカリ回収機があり、浸漬機から絞られた戻り液がセルローズを含んでいるため、これを除去して浸漬液として再使用する。

(3) 製造二課は、純ビスコースから製品を造り商品を梱包するまでの各工程をいい、紡糸工程、精練工程、乾燥工程、梱包工程に分けられる。

イ 紡糸工程(位置・別紙2の⑩)

熟成室から送られてきたビスコースを紡糸機のノズル(紡口)から紡糸浴内に射出し、凝固・再生させて繊維化し、その繊維束を集合二浴で温水に浸した後、伸張機に掛けて伸張し、タイマーボックスを経て精練工程へ引き継ぐ。

ロ 精練工程(位置・別紙2の⑪)

紡糸工程でできた繊維束を切断機で一定の長さのチップ状に切断し、これを高温の温水に投入して捲縮させて綿状とした上、精練機で水洗、脱硫し、さらに漂白、酸洗、水洗、仕上剤処理を行って乾燥工程に引き継ぐ。

ハ 乾燥工程(位置・別紙2の⑫)

精練工程から送られてきた湿綿を送風機による熱風で乾燥させ、梱包工程に送る。

ニ 梱包工程

製品を梱包機で梱包する。

2  各工程における二硫化炭素の使用及び発生

(一) レーヨン製造工程中、硫化・溶解工程においては、化学反応によりビスコースを製造するために二硫化炭素が使用されていた。

熟成工程においては、ビスコースを溶解、ろ過、脱泡する際、未反応として残った二硫化炭素が蒸気として発生するほか、ビスコースに含まれる未反応の少量の二硫化炭素が送液管の接続部分から漏れたり、サンプル採取、ろ布の取替え等の処理の際に蒸気として流出することもあった(争いがない。)。

(二) 紡糸工程においては、紡糸機内でビスコースと紡糸浴内の硫酸との化学反応により、ビスコース中の二硫化炭素が分離・発生して紡糸浴中に混入し、一部が紡糸浴の温度により気化して二硫化炭素蒸気となり、また、紡糸機内で回収されなかった二硫化炭素が繊維束に付着したまま集合二浴、伸張機の各作業工程において二硫化炭素蒸気となって発生する。

精練工程においては、紡糸工程で完全に回収できなかった二硫化炭素が、切断機で繊維束をカットする際、捲縮槽で温水処理する際、水洗、脱硫区で処理する際にそれぞれ二硫化炭素蒸気となって発生する(争いがない。)。

3  原告の各職場における勤務の実態

(一) 原告の職場経歴

原告の職場経歴は、左記のとおりである(甲二〇四の一一三頁)。

昭和二三年六月八日 訴外会社八代工場入社

同日〜昭和四一年一二月三一日

製糸課(当時)精練工程(三交替)

昭和四二年一月一日〜昭和四七年一一月三〇日

仕上課(当時)乾燥工程(三交替)

昭和四七年一二月一日〜昭和四八年七月三一日

製造二課(当時)工程係(三交替)

昭和四八年八月一日〜昭和四九年六月一〇日

同(日専)

昭和四九年六月一一日〜昭和五三年一月一六日

開発推進室(不織布担当)

昭和五三年一月一六日 訴外会社退職

(二) 勤務形態

原告が訴外会社八代工場に勤務していた当時、同工場は二四時間の操業を続けており、労働者は三つのグループに分かれ、日勤(後の「一直」、午前八時から午後四時まで)、前夜勤(後の「二直」、午後四時から午前零時まで)、後夜勤(後の「三直」、午前零時から午前八時まで)の勤務帯を五日ずつ勤務する三交替の体制を取っていた。休日は交替で取るため一定しておらず、また、休憩は八時間の労働時間を四時間ずつに分け、それぞれに三〇分ずつを交替で取るようになっていた(証人松村和郎(一回目)一六項以下)。

原告は、入社以来、昭和四八年八月一日に勤務時間が午前八時三〇分から午後四時三〇分までの日勤を専門とする日専に変わるまで、右三交替勤務を継続していた(甲二〇四、三〇一、証人松村(一回目)四五項、四六項、弁論の全趣旨)。

(三) 精練工程における勤務の実態

(1) 精練工程は、別紙2⑪のとおり、工場の南半部一階の最も広いフロアのほぼ中央部に位置し、紡糸工程と乾燥工程の中間の工程をなしている。昭和二〇年代には紡糸室と精練室の間に高さ二メートルくらいの壁があったが、昭和二八年ごろ、増産のため大型の紡糸機を導入する際、壁は取り払われ、紡糸室と精練室及び乾燥室は同一のフロアに連続して存在している(証人松村(一回目)一〇七〜一二一項、検証)。

原告が精練工程に勤務していた昭和四一年一二月三一日までの間、紡糸機には現在のようなカバーリングはなく、ビニールカーテンが下げられ、二硫化炭素蒸気は、紡糸機の上に設置されていた排気ダクトを通して排気ファンによって屋外に排気されていた。しかも、ビニールカーテンの長さは昭和二五年末で四〇センチメートル、昭和三〇年末で五〇センチメートルにすぎず、機械の下側部分まで覆われるようになったのは、昭和三七年末に一一〇センチメートルのものにつけ替えられた後であった(甲一〇二の二及び七ないし一一、一一〇の一、証人松村(一回目)九九〜一〇六項、一七四〜一九七項、二八二〜二九一項)。

(2) 原告は、精練工程で、カッター台付作業、精練台付作業、薬液調整係等の作業を行っていた(甲三〇一)。

① カッター台付作業は、伸張機から出てタイマーボックスに送られた糸がさらにベルトコンベアでカッターまで送られ、そこでカットされる一連の工程を監視し、ミスカットがないか、異常繊維がないか、機械が順調に運転されているかを注視する作業であるが(証人松村(一回目)二五一〜二六一項)、操業の初めには、カッターについているローラーに糸を掛ける作業を行わなければならなかった(証人下川義治(一回目)七六項、七七項)。

カッターに送られてくる糸には依然二硫化炭素が残留し、ここでも二硫化炭素蒸気が発生した。原告が勤務していた当時、カッターにはカバーリングはされておらず、短いビニールカーテンが下げてあっただけであった(甲一一〇の四、五、証人松村(一回目)二四三〜二五〇項、同下川(一回目)六八〜七二項、検証)。

また、カッター台はタイマーボックスと隣接する工程であり、タイマーボックスには糸が滞留するため、その付近には二硫化炭素蒸気がしばしば滞留し、引火事故や爆発事故も起こっていたし、カッター台のすぐ近くの捲縮槽からも二硫化炭素蒸気が発生していた(甲一一〇の六、一一一の二、証人松村(一回目)一四二項、一四三項、二一二〜二四二項、二六三〜二七一項、同下川(一回目)八八〜九二項、一九一〜二三三項)。

② 精練台付作業は、精練機全体を監視し、糸の品質や糸の流れ具合を点検する作業である。

現在、精練工程のうち、捲縮槽、第一水洗装置、脱硫装置にはカバーリングが施され、また、第二水洗装置、漂白装置、酸洗装置及び遊浴精練機には長いビニールカーテンがつけられているが、原告の勤務当時、右カバーリングはなく、精練工程全体が肩の高さくらいまでのビニールカーテンでカバーされていた(甲一一〇の六、証人松村(一回目)二六五〜二七一項、検証調書写真55、63)。

また、トラブルが生じてステープルのチップを取らなければならないとき、遊浴精練機の糸が切れたとき、品種切替の際に精練機を清掃するときなどは、機械の中に顔を突っ込んだり、あるいは機械の中の入り込んで作業をしなければならなかった(証人松村(一回目)二九五〜三一〇項、同(二回目)七項、同下川(一回目)六三項、六四項、八二〜八七項、九三〜一二七項、一四四〜一七八項)。

③ 薬液調整係は、漂白や脱硫のための薬液の濃度等の調査、監視を行うもので、二硫化炭素蒸気の発生する中での薬液の採取等の作業を行っていた(証人下川(一回目)一七九〜一八三項)。

(3) 原告は、以上の精練工程本来の作業をするほか、精練工程に勤務していた間、紡糸工程でトラブルが生じると精練工程へ糸が送られてこないという事態が生じるため、たびたび紡糸工程でのトラブルに応じて紡糸工程への応援の作業もさせられていた(甲三〇一、証人下川(一回目)一二八〜一四二項)。

① 伸張機のトラブル

伸張機では、紡糸機から出たての糸が切れるというトラブルがしばしば生じたため、精練工程の労働者は、糸を手でつかんで手繰り出す作業などによく駆り出され、原告もたびたびこの作業に従事した。

② タイマーボックスのトラブル

カッターの刃の交換のとき、ベルトコンベアーがスリップを起こしたとき、精練機に故障が生じたときなどには、タイマーボックスに大量の糸が滞留し、もはや機械では自動的に糸を送れなくなって、精練工程の作業が進まなくなるようなトラブルがしばしば生じた。そのため、精練工程の労働者は、タイマーボックスに溜まった糸を手で手繰り、ベルトコンベアーに送るという作業をしなければならず、原告もたびたびこの作業に従事した(証人松村(一回目)二五五〜二五七項)。

(四) 乾燥工程での勤務の実態

(1) 乾燥工程は、別紙2⑫のとおり、工場の南半部一階の最も広いフロアの南側部分に位置し、紡糸と精練の各工程の後に引き続く工程であり、前記のとおり、これら一連の連続した工程は仕切り等のない一つのフロアに存在している(検証)。

(2) 乾燥工程での主要な作業は、乾燥機の運転が順調であるかどうかの監視であるが、乾燥工程に従事する労働者は、しばしば不良品として返ってきた綿の精練をやり直す再精練の作業にも従事させられた。これは、不良品の綿を温水槽まで持っていき、捲縮槽のビニールカーテンを開けて、その中に綿を一把みずつ投げ入れる作業であったが、原告の勤務当時の捲縮槽には現在のようなカバーリングはなく、また、均質な精練のためには一度に綿を投げ入れることはできなかったため、この作業は一定時間を要した。そして、原告もたびたびこの作業に従事した(甲三〇一、証人松村(一回目)二六三〜二七一項、三五九〜三六四項、同下川(一回目)一六六〜一六九項)。

(五) 工程係での勤務の実態

工程係は、労務管理及び工程・品質管理などを主な職務とする。原告は工程係勤務当時、A組の班長として、製造二課の紡糸、精練、乾燥の各工程がスムーズに進行しているかに目を配る立場であった。そのため、所定の作業場所は工務室となっていたが、常時作業室にいるわけではなく、各工程でトラブルが発生したとの連絡があれば、現場に出向いて指示をし、また、現状をよく把握するためにしばしば各工程を巡回していた(甲三〇一)。

(六) 開発推進室での勤務の実態

原告は、開発推進室では不織布の担当であった。不織布の仕事はレーヨン原綿を原材料として、不織布を糊付けし、不織布を製造するものであり、作業所は紡糸、精練、乾燥の各工程とは別の場所にあったが、不織布の原材料となる「セルカット」された糸を作るために、その機械のある精錬工程に出向いて作業を行うこともあった(甲三〇一)。

4  訴外会社八代工場における二硫化炭素の濃度等

(一) 日本産業衛生協会による昭和四四年ころにおける二硫化炭素の許容濃度は二〇ppm(甲七七の七六頁)、昭和五〇年におけるそれは一〇ppm(甲八〇の四六九頁)とされており、また、認定基準によれば、慢性二硫化炭素中毒と認定される相当の濃度とは、通常十数ppm以上のレベルを指すとされている(乙三の二の二〇六頁)。

もっとも、一五ないし二〇ppmの平均二硫化炭素濃度でも、労働者が労働中に絶えずこの濃度に曝露されていれば、二硫化炭素の有害作用から完全に逃れることはできないとの指摘もある(乙六の二三〇頁、同訳文一二頁)。

(二) 労働省が行政指導に用いた「特殊健康診断の進め方」資料編には、作業場二硫化炭素濃度の一例として昭和二九年発表の数値が記載されており、これによれば、昭和二五年から昭和二七年の間の人絹、スフ工場の紡糸、精錬室の二硫化炭素濃度は次のとおりである(乙二の一一頁)。

人絹工場

スフ工場

紡機の間

12.0ppm(一二回平均)

紡機の間

12.5ppm(一七回平均)

紡機カバー内

18.0ppm(五回平均)

ギアーエンド通路

15.0ppm(七回平均)

取り上げたケースの直上

15.0ppm(一回平均)

集束機付近

32.9ppm(一七回平均)

(三) 訴外会社八代工場においては、二硫化炭素濃度について、労働安全衛生法六五条、有機溶剤中毒予防規則、作業環境測定法等の法令に基づく六か月に一度の法定測定を行うとともに、昭和三七年から作業環境に関する衛生管理対策として、毎月一度の定期測定とトラブル等による要請があったときに行う臨時測定とを内容とする自主測定を実施するようになつた。

右自主測定は、硫炭(ただし、工程が廃止される昭和四三年以前)、硫溶、熟成、紡糸、精練、セロファン製膜の工程別に行われていた。

右自主測定の測定結果を原告が退職する昭和五三年までについてみると、年平均値は、紡糸工程で昭和三七年に8.2ppm、昭和三八年に最高の13.8ppm、昭和三九年にも10.2ppmを記録しているが、その後は6.2ppm(昭和四〇年)を最高に2.9ppmから5.2ppmの値となっている。精練工程では昭和四一年の8.7ppm、昭和四二年の7.5ppm、昭和五一年の7.7ppm、昭和五三年の7.8ppmが高い値で、その他は3.8ppmから7.2ppmの値となっている。また、年間最高値をみると、紡糸工程では昭和三七年から昭和四〇年にかけて二〇ppm、一八ppm、二〇ppm、一四ppmと高い値を記録しているが、その後は概ね九ppm以下にとどまっている。精練工程でも昭和三七年から昭和三九年にかけて、一六ppm、一八ppm、一七ppmと比較的高い値を記録しているが、その後は一三ppm以下となっている(甲一〇六の一一頁以下)。

(四) 昭和三九年一一月二七日、熊本労働基準局及び訴外会社側、組合側の双方立会いの下、作業をする者の鼻の高さを想定し、1.5メートルの高さを測定点として二硫化炭素濃度の測定を行った。

右測定結果をみると、紡糸機から六〇センチメートルの地点で、ビニールカーテンを閉めた状態では最高二〇ppm、ビニールカーテンを開いた状態で最高九〇ppmを記録した。また、伸張機から六〇センチメートルの地点では、窓を閉じた状態で最高一九ppmを、窓を開けた状態で四〇ppmをそれぞれ記録し、さらに、紡口交換や糸が切れたときなどを想定して、窓を開いた機械の内部の濃度を測定したところ、一三〇ppmを記録した。カッター台の周囲では、ビニールカーテンを閉じた状態で最高一八ppm、ビニールカーテンを開いた状態で二〇ppmをそれぞれ記録している(甲一二九)。

右測定の後、熊本労働基準局長から訴外会社に対し、①紡糸機運転開始時、紡口交換時その他修理点検等の機械内作業を行う場合、ビニールカーテンを全面開放することなく、なるべく小範囲に開いて作業が実施できるように留意すること、②伸張機については、窓ガラスを開くことなく監視の目的が達せられるよう、窓ガラスの曇止めや除塵の措置を講じること、③紡糸機関係における紡口交換その他点検修理等の機械内作業、伸張機内の糸切れ、糸巻き付き等の処理作業等の場合には、適当な有機溶剤用ガスマスクを着用させ、マスクのまま実施することなどの勧告がなされた(甲一一三)。

右勧告に従って訴外会社側からガスマスクが支給されたのは、昭和四〇年ごろであった(証人松村(一回目)二〇四〜二〇九項、二五九項、二七九項)。

(五) その後、訴外会社八代工場では、昭和四四年ごろ、紡糸機全体及び捲縮槽を密閉し、発生した二硫化炭素及び硫化水素の蒸気をダクトを通して吸着塔内の活性炭に一定時間吸着させ、以後、脱着、抽出・蒸留工程を経て、二硫化炭素を液体化し、硫化水素を硫黄の形で回収する二硫化炭素回収設備(Ⅰ系)が稼働を開始した。精練工程の第一水洗区及び脱硫区も順次密閉され、昭和四九年ごろからは、同様の回収設備がもう一基(Ⅱ系)稼働を開始している(証人松村(一回目)三一五〜三二七項、検証)。

5  訴外会社八代工場における二硫化炭素中毒症の発生

(一) 奥野末男、岩崎勤の二硫化炭素中毒症の発症及び労災認定

(1) 奥野末男(大正一一年二月生)は、昭和一三年訴外会社八代工場に入社し、入社時から紡糸工程で勤務していたが、昭和三五年一〇月一二日、入浴中右手にしびれ感を覚え、数日後には右顔面、右半身のしびれを感じるようになった。同年一一月三〇日には複視が現われ、眼科医院に一年間通院しながら、しびれ感の治療のために他の医院にも通院したが軽快しなかった。昭和三六年一二月ごろから物忘れをするようになり、仕事に身が入らず、まわりに対して関心を示さなくなると同時に、ちょっとしたことにも腹を立てるようになり、昭和三七年八月ごろからは空笑するようになった。その後、笑いだしたら笑いが止まらないようになり、さらにはときどき尿を失禁するようになった。同年一〇月五日、熊本大学医学部(以下「熊大」という。)神経精神科に入院し、同年一二月一七日に同病院を退院した。昭和三八年二月二一日、日隈病院に入院し、その後、昭和三九年二月一五日、熊本保養院に入院したが、同年一〇月二日、四二歳で死亡した(甲一の二四五頁以下、八の三九八頁以下、一二五)。

(2) 岩崎勤(昭和五年一月生)は、昭和二五年九月訴外会社八代工場に入社した。初め浸漬工程に一年、次に硫溶工程に六年、その後浸漬工程に一年勤務したが、欠勤しがちとなったので、昭和三四年一月二三日会社から休職発令の通知が出された。

岩崎は、昭和三三年一〇月末から視力障害をきたし、昭和三四年一月中旬には身体の不安定と言語障害をきたして、同月二〇日、熊大神経精神科に入院した。同年四月三〇日、同病院を退院したが、その後八代総合病院内科に入院した。昭和三五年二月二日には熊大神経精神科に再入院したが、確実な診断がつかないまま、同年七月二〇日、同病院を退院した。その後、同年九月一四日熊本保養院に入院し、昭和三六年七月二〇日に同病院を退院したが、退院後痴呆がますますひどくなり、四肢が麻痺し、殊に右側が強くなっていった。昭和三八年二月二三日から急に昏睡状態に陥り、同年三月二日、三三歳で死亡した(甲一の二四七頁、八の三九七頁、一二五)。

(3) 昭和三九年一月ごろ、奥野が日隈病院に悲惨な状態で入院していることを知った組合は、奥野、岩崎の問題を組合で取り上げることを決め、労災認定などを求める運動を展開し、同年一二月六日、八代労働基準監督署長は両名を労災認定した(甲一二五、一三三ないし一四〇)。

(二) 訴外会社八代工場労働者の労災認定状況

昭和五五年一二月までにレーヨン工場において慢性二硫化炭素中毒症として労災の認定を受けている者は全国で三四名であるが、内二四名が訴外会社八代工場で勤務していた者であり(甲一〇六の参考資料2、3)、その後昭和六二年二月までに、訴外会社八代工場において二硫化炭素中毒症として労災認定を受けた者は三三名となっている(甲二五の二の四五頁)。

6  訴外会社八代工場労働者の健康調査等(甲二五の二)

(一) 訴外会社八代工場労働者の健康調査

(1) 熊本保養院の平田宗男医師と熊大神経精神科の医師らは、昭和三九年二月、訴外会社八代工場労働者七一名の健康調査を行ったところ、明らかに他の疾病と認められる二名を除いた六九名につき、後頭部に頭重を訴える者五〇%、手・舌の振戦を訴える者六五%、手足のしびれを訴える者三二%、胃腸障害を有する者四〇%、物忘れを訴える者三五%、怒りっぽい・いらいら感のある者一七%、睡眠障害のある者二二%という結果を得た(同四五頁)。

(2) 熊本民医連職員延べ一九二名は、昭和五九年一一月から翌年三月までの間に訴外会社八代工場労働者二三一名を対象に問診を行った(なお、訴外会社八代工場の全従業員数は、昭和五七年二月当時で八三七名である。甲一〇六)。その結果、対象二三一名の中から二硫化炭素曝露期間がはっきりしている二〇二名について、物忘れ48.5%、いらいら三七%、疲れやすい三六%、からす曲り三二%、目がかすむ三二%、手足のしびれ三一%、胃腸障害三〇%、目まい・立ちくらみ23.7%、体がだるい二九%、神経痛27.7%、不眠26.7%、手足が冷える25.7%、頭痛二四%、頭がぼんやりする23.8%、集中力がない、頭が重い23.3%、筋肉がぴくつく二〇%、耳なり18.8%、何もしたくない・性的意欲低下16.8%などの自覚症状が認められた(同四七頁)。

(二) 訴外会社八代工場労働者の死亡調査

樺島啓吉医師が昭和六二年に発表したところによると、訴外会社八代工場の労働者で当時までに認定された三三名のうち、死亡した者が一一名(三三%)にも及んでおり、死亡平均年齢は四八歳と短命である(同四五頁)。

また、昭和四八年一〇月、慢性二硫化炭素中毒症被災者の会と熊本県民医連が共同で行った訴外会社八代工場労働者の死亡者の調査によると、昭和三六年の訴外会社の名簿から聴取りのできた六七五名のうち、死亡者は五〇名(7.4%)であった。死亡者を工程別に検討すると、製綿課(現・製造一課、二課)が一九八名中二一名(10.6%)、硫炭課が八〇名中八名(一〇%)、原液課二四七名中一七名(6.9%)、仕上げ課一八〇名中四名(2.2%)と二硫化炭素蒸気曝露の強い職場ほど死亡率が高いという結果が出た(同四七頁以下)。

二  長期慢性二硫化炭素中毒症の病像について

1  二硫化炭素中毒症の概要

(一) 職業病としての二硫化炭素中毒症は、ビスコースレーヨン工場等の二硫化炭素蒸気が発生する職場において、職場環境が二硫化炭素蒸気に汚染された結果、これを吸入することにより二硫化炭素に曝露した労働者に発症する中毒症である。

二硫化炭素中毒症は、発生経過により急性中毒症・亜急性中毒症・慢性中毒症に分類されるのが一般であるが、さらに慢性中毒症の一つとして、長期慢性中毒症あるいは超慢性中毒症(以下「長期慢性中毒症」という。)という分類が可能とされている。もっとも、これらの分類は相対的なものであり、あくまでも一つの目安にすぎない。特に慢性中毒と長期慢性中毒症の分類については、医学的に確立しているわけではなく、この二つの分類のほかに慢性非特異型・不全型という分類がなされることもある。したがって、病像の確立のためにさらに疫学的調査と臨床研究の積み重ねを要する段階ということができる(甲一、証人原田正純(一回目)三六項)。

(二) 右経過による分類に従って二硫化炭素中毒症を概観すると、以下のとおりである。

(1) 急性・亜急性二硫化炭素中毒症

急性・亜急性二硫化炭素中毒症は、高濃度の二硫化炭素蒸気を吸入することより、急激に症状が現れるタイプで、あり、主な症状は、意識障害・コルサコフ症候群・外因反応型精神症状等の精神症状である。

これは二硫化炭素蒸気曝露から離れることによって、比較的速やかに回復するが、場合によって性格障害やコルサコフ症候群等の後遺症が残ることもある(甲一の二四三頁、証人原田(一回目)三八項、四一項、四二項)。

(2) 慢性二硫化炭素中毒症

急性・亜急性二硫化炭素中毒症に罹患するよりも低い濃度の二硫化炭素蒸気に数年単位で曝露した後に症状が現れるタイプであり、手足の痺れや脱力といった自覚症状のある多発神経炎や、いらいらしたり怒りっぽくなったり眠れない等の精神衰弱状態、球後視神経炎などを主症状とする(甲一の二六六頁以下、証人原田(一回目)、三八項)。また、過去の視神経炎の後遺症として、色覚の後天性異常が認められることが現在注目されている(甲二九の三、甲二一四)。

(3) 長期慢性二硫化炭素中毒症

微量な二硫化炭素蒸気に曝露し続けながら勤務を続ける労働者が増えるとともに、その労働者が高齢化してきたことにより顕在化した中毒症である(甲一の二四五頁、二六九頁、甲二の一頁、二頁、証人原田(一回目)三八項、三九項、七五項、七六項)。

なお、二硫化炭素蒸気に曝露することによって、動脈硬化が発生する機序については、イタリアのウィリアーニらが提唱した、二硫化炭素蒸気に曝露することによって脂質代謝に異常を生じ、これによって血管の動脈硬化を引き起こすとする脂質代謝障害説と、後藤稠らの提唱する、二硫化炭素蒸気曝露によって潜在的な耐糖機能の低下をもたらすとする糖代謝障害説の二つの学説が対立しており、現在のところ決着はついていない(甲八〇の四六七頁以下、八一の三六頁以下、証人原田(一回目)六九項)。

2  長期慢性二硫化炭素中毒症の病像

(一) 長期慢性二硫化炭素中毒症の存在の確認

かつては、日本には慢性二硫化炭素中毒症は存在しないとされていた。しかし、前記のとおり、昭和三九年に訴外会社八代工場で長期間勤務していた岩崎勤、奥野末男の二名の死亡につき、二硫化炭素中毒症であるとの労災認定がなされ、慢性二硫化炭素中毒症の存在が確認された(甲一の二四五頁、八ないし一〇)。

(二) 熊大神経精神科及び熊本保養院における症例報告

昭和四九年、中村清史らは、昭和三三年から昭和四八年にかけて熊大神経精神科の入院・外来で経験した慢性二硫化炭素中毒症と思われる一七例について、概要以下のとおりの臨床的研究結果を発表した(甲一の二四五頁以下)。

(1) 一七例の症例は、いずれも昭和一二年から昭和三六年までに訴外会社八代工場に入社し、二硫化炭素蒸気の曝露年数が七年間から二四年間という労働者である(同二五六頁)。

(2) 臨床症状としては、神経症状と精神症状が中心であり、その出現頻度は別紙3第1図のとおりである(同二五七頁)。

(3) 個々の神経症状は、別紙4第1表のとおりであり、知覚障害、構音障害、共同運動障害、脳神経症状、筋緊張異常、固有反射亢進、四肢・筋痛などが高率に認められている(同二五七頁)。

脳梗塞により感覚中枢が障害を受けた場合には、その部位によって半身性の感覚障害や四肢末梢性感覚障害が現れ、小脳が障害を受ければ、構音障害・共同運動障害が認められる。また、中枢障害性の眼筋痲痺があれば眼球運動異常による複視が見られ、視野中枢が障害を受ければ、左か右の同名性半盲という左右いずれかの視野が欠損する視野狭窄が認められ、中枢神経障害の場合にはアキレス腱反射や膝蓋腱反射といった固有反射が亢進する。したがって、これらはいずれも中枢性の障害であると認められる(甲三七の五、三八の五、六、三九、四〇)。

(4) 個々の精神症状は、別紙5第2表のとおりであり(甲一の二六〇頁)神経衰弱様状態、知的機能障害、個別症状としては精神緩慢、自発性欠如、無気力・易疲労、思考障害などが高率に認められている。これらも神経症状同様に、中枢障害によるものと考えられる(同二五七頁、二六一頁以下)。

(5) こうした神経・精神症状に応じて、頭痛、頭重感、ぼんやりする、めまい、物が二重に見える(複視)、目が疲れる、眼痛、視力障害、物忘れ、無気力感、不眠、全身倦怠などの心身故障の自覚症がみられ、その出現頻度は別紙6第3表のとおりである(同二五七頁)。

(6) そのほかの検査所見の概要は、別紙7第4表のとおりである。

高血圧が一七例中八例に認められ、また、尿蛋白陽性が九例に、PSP異常が検査した一一例中七例にそれぞれ認められるなど腎機能に障害の現れたものも多い。眼底網膜の微細動脈瘤も検査のできた一一例中五例に認められ、眼底所見として動脈硬化像が認められた例は一七例中一一例に上っている。さらに、尿中ウロビリノーゲン異常陽性が一七例中九例に認められるなど肝機能にも障害が認められている(同二六二頁)。

(三) 障害の現れる部位を目安にした分類

日本化学繊維協会労働衛生研究会などに所属し、業界の協力を得て二硫化炭素中毒症の研究をしてきた後藤稠は、慢性二硫化炭素中毒の病像について、障害の現れる部位を目安にして、①脳血管障害型、②神経障害型、③腎障害型、④動脈硬化性心疾患型、⑤網膜症型という分類を試みている(甲八一の五頁)。もっとも、これらは全く別々のものという意味ではなく、どういう症状が中毒の前景として現れ、把握しやすいかという観点からの分類にすぎず、実際の患者には、症状が複合して現れるものも多い(証人後藤(三回目)一〇六〜一〇九項、一九六項)。

そこで、次に右の各分類の内容を個別にみる。

(1) 脳血管障害型

脳血管障害型慢性二硫化炭素中毒症は、その臨床症状として前景に現れるものがいわゆる脳梗塞による症状である。すなわち、二硫化炭素蒸気に長期曝露したことにより、脳の動脈が硬化するため、まず循環障害による脳症状を呈し、それが進行して血管が詰まる梗塞を惹起し、これによって血液が送られなくなった部分の脳細胞が死滅することによる神経症状及び精神症状が現れる。その限度では、一般に起こる脳梗塞との違いは、臨床症状としてはない(甲八一の九頁、証人後藤(三回目)一四四項、一四七項、一五二項、一五四項)。

しかし、多くの症例では、比較的若年のころから高血圧が指摘され、心身故障の訴えがあり、その後脳梗塞が起こっても、意識障害を伴うような例は少なく、むしろふらつきや軽度の半身のしびれなどが繰り返し起こり、次第に症状が悪化してくる例が多い。すなわち、慢性二硫化炭素中毒の脳血管障害型の特徴は、細い血管の障害による多発性脳梗塞が見られる例が多いということにある。そして、その発症部位も、脳の基底核付近に多いといわれている。

そして、二硫化炭素蒸気の曝露から離れても症状が進行・憎悪することが多く、また、離職してから脳梗塞が起こり、発症する例もある。これは、いったん硬化という障害が起こり始めた動脈は、もはや元通りに戻ることはなく、加齢とともにさらに動脈硬化は進行していくからであると考えられる(甲一、二、一二、一八、証人原田(一回目)六六項、七五〜七七項、一二二項)。

(2) 神経障害型

長期慢性二硫化炭素中毒症により全身の血管に動脈硬化を起こし、その中の末梢神経に血液を送る細血管が動脈硬化を起こせば、その影響が末梢神経に現われ、その結果、多発神経炎型(四肢末梢性)感覚障害が現れる。

もっとも、中枢神経障害の場合に多発神経炎型(四肢末梢性)感覚障害が発症しないわけではなく、感覚中枢に脳梗塞が発生すれば、その結果としてこうした感覚障害が起こることはあり得る。当該患者の感覚障害が、中枢神経障害によるものか末梢神経障害によるものかの鑑別は、神経伝導速度が低下しているかどうか等によってなされる(甲二、八一の六〇頁、証人樺島啓吉(一回目)九七項、九八項、同後藤(三回目)一三六項、一三九項、一四〇項)。

(3) 腎障害型

主として腎臓の障害が発症するものであり、糸球体硬化症ないし腎硬化症に発展するものである。脳血管障害とともに重要な二硫化炭素中毒症の症候で、多くの症例では末期像として両者が並存するとされている(甲八一の一二頁、証人後藤(三回目)一五八項、一五九項)。

(4) 動脈硬化性心疾患型

二硫化炭素蒸気の曝露が心臓の冠動脈等太い血管に動脈硬化を生ぜしめ、心筋梗塞、狭心症等の動脈硬化性心疾患の発生危険度が上がるとの報告がヨーロッパの研究者からなされている。もっとも、わが国では、二硫化炭素蒸気の曝露による動脈硬化は、細い血管から起こることが多いとされ(証人原田(一回目)一〇二項、一二二項、同後藤(一回目)七八項)、後藤らは、疫学的調査の結果から、日本人労働者では動脈硬化性心疾患と二硫化炭素蒸気の長期曝露との関連は見られないと結論付けている(甲八一の一五ないし二〇頁、八七の七一頁)。

(5) 網膜症型

眼底に微細動脈瘤あるいは点状出血がみられるものであって、糖尿病性網膜症に酷似している。しかし、何ら網膜及び目の機能低下や異常をもたらさず、かつ、自覚症状もないもので、単なる眼底血管の器質的変化にすぎない。そして、通常、糖尿病におけるⅢa(スコット)以上に進行・悪化せず、硝子体出血や網膜の増殖性変化を起こさない(甲八一の二一頁以下、乙三の二の二〇七頁、証人後藤(三回目)一六四〜一六六頁)。

従って、網膜症型とは、二硫化炭素性網膜症が発症していることによって慢性二硫化炭素中毒症であると確認できるタイプを指す。すなわち、臨床上眼底検査で確認できるかどうかという視点でまとめられた病型ということができ、他の型とは分類の視点が異なり、この型だけの障害が単独で起こるということはあり得ず、必ず他の型と複合して現れる(証人後藤(三回目)一〇七〜一〇九項、一九六項)。

(四) 長期慢性二硫化炭素中毒症の本体

以上要するに、急性・亜急性二硫化炭素中毒の本体が二硫化炭素蒸気が直接神経系統に作用することによる神経障害であるのに対し、長期慢性二硫化炭素中毒症といわれる中毒症の本体は、全身に起こる血管障害であり、その血管障害のタイプは主として動脈硬化である。そして、脳の血管が動脈硬化を生じたことによって脳梗塞が起これば、脳梗塞の各種精神・神経症状が現れることになるし、腎臓に障害が起これば蛋白尿が出たり、腎硬化症による各種症状が現れるし、心臓の冠状動脈の障害が起これば、心筋梗塞による心症状が現れることになるなど、長期慢性二硫化炭素中毒症では起こらない症状はないといわれており、全身に極めて多彩な症状が出現する(甲一、八一の一一頁、証人原田(一回目)二九項、四四項、六四項、同後藤(三回目)一〇一項、一五〇項)。

もっとも、全身の血管障害による各種臓器の障害とはいっても、脳や心臓・腎臓など循環障害・血管障害の影響を受けやすい部位があり、比較的細い血管から障害される例が多いといわれている(証人原田(一回目)一二二項、同(二回目)二一項)。

(五) 長期慢性二硫化炭素中毒症の予後及び遅発性効果

右のとおり、長期慢性二硫化炭素中毒症の本体は全身の血管障害、動脈硬化であるから、長期間の二硫化炭素蒸気に曝露することによっていったん血管そのものが変化した場合には、曝露を離脱しても症状は容易に改善せず、むしろ、加齢による影響もあって血管障害が進み、現実に二硫化炭素蒸気に曝露する職場に勤務しているかどうかとは関係なく、症状が進行していくのが普通といえる(証人原田(一回目)五七項、七五項)。

したがって、二硫化炭素蒸気曝露を離脱した後に、脳血管障害型長期慢性二硫化炭素中毒症として脳梗塞発作を起こす例も当然あり得る(甲一の症例4など)(甲八七の七頁、証人原田(一回目)七二項、同後藤(三回目)二〇三項、二〇四項、二〇六項、同(四回目)一四五項以下)。

3  認定基準の検討

(一) 前記のとおり、認定基準は、慢性二硫化炭素中毒症の症状に関し、①二硫化炭素によると考えられる腎障害及び二硫化炭素性網膜症を認めた場合、または、②二硫化炭素によると考えられる脳血管障害及び二硫化炭素性網膜症を認めた場合として、二硫化炭素性網膜症の所見が認められることを不可欠の要件としている。

そして、この点につき、認定基準は、腎症、脳血管障害に伴う神経・精神障害のいずれの場合もその症状は非特異的であるから、現症と職歴、家族歴、病歴、過去の特殊健康診断の成績などを総合的に配慮・分析して診断しなければならないとしつつ、いずれの場合にも、二硫化炭素性網膜症合併の有無が鑑別診断の要点となるとしている(乙三の二)。

(二) しかしながら、二硫化炭素性網膜症の症状が認められないのに、労災認定を受けた例は数多くあり、訴外会社八代工場で勤務していた者で二硫化炭素中毒の労災認定を受けた者二八例のうち、発症時に二硫化炭素性網膜症の症状がなかった者が六例あり、うち三例が認定基準の改正された昭和五一年以降に労災認定を受けている(甲一〇六の一九頁、二〇頁、証人後藤(三回目)二一九項)。前記の中村らの症例報告でも、眼底所見に動脈硬化像が認められたのは一七例中一一例であり、微細動脈瘤が認められたものが一一例中五例、赤斑が認められたものも一七例中一四例である(甲一、証人後藤(三回目)二二〇項以下)。

三  原告の疾病の状況について

1  原告の訴外会社八代工場に勤務中の健康状態

甲第三二号証の一、同号証の二の一ないし一四、同号証の三の一ないし三、同号証の四の一ないし四四、第三五号証、第七三号証の一、同号証の二の一ないし五、第二一三号証及び括弧内掲記の各証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) 血圧の推移

(1) 精練工程勤務中について

訴外会社八代工場においては、健康管理上、最高血圧一五〇mmHg(以下数値のみで示す。)以上、最低血圧九〇以上が高血圧の基準とされている(乙一四の三三頁)。

原告は、昭和三〇年五月九日の定期健康診断で一六四〜七〇、一六八〜七〇といずれも最高血圧が高血圧状態になっている。昭和三三年一〇月二五日の定期健康診断では一五二〜八六、同年一二月二七日の検査でも一六八〜九六という数値を記録し、そのころから高血圧者として、定期健康診断以外の健康診断として、頻繁に血圧測定及び検尿を行うようになった(甲七三の二の一及び四)。

昭和三四年一月一〇日、同月二四日の検査でもそれぞれ一七二〜九一、一七四〜一〇〇という数値が記録され、血管強化剤であるハセルチンC(甲三三の二)の投与を受け始めたが(甲七三の二の四)、その後も一八〇〜一一六(同年三月三一日)、一七〇〜一〇〇(同年四月一五日)、一八〇〜一一二(同年二八日)と高血圧状態が継続したため、降圧・鎮痛剤であるセルパシル(甲三三の七)の投与を受けた(甲七三の二の四)。昭和三五年も一月一四日に一七二〜九六、二月一五日に一七八〜九八、四月二〇日に一八二〜一〇八、五月一三日の定期健康診断でも一七六〜一〇四と高い数値を記録し、四月二〇日に血圧降下剤であるハセスロール(甲三四の二)の投与を受けると共に(甲七三の二の四)、右定期健康診断の診断録にも高血圧症との記載がなされている(甲七三の二の二)。

その後も一九二〜一二〇(同年九月一七日)、一八四〜一〇四(同年一〇月一七日)を記録したほか、最高血圧一五〇以上、最低血圧九〇以上の数値を頻繁に記録し、高血圧について医師から指導を受けたり(昭和三六年六月二一日、同年一〇月二〇日など)、前記ハセスロール(昭和三六年六月二一日、昭和三七年七月一九日、昭和三八年一〇月一七日、昭和三九年三月四日、同月二六日)、セルパシル(昭和三九年二月二六日)のほか、やはり降圧利尿剤であるエシドレックス(甲三三の五)の投与(昭和三九年二月二六日、同年三月四日、同月二六日)などの治療を受けていたが、昭和三九年から昭和四一年の間の検査でもほとんどが最高血圧一六〇以上を記録していた。

この間、原告は、訴外会社八代工場においてなされる特殊検診を昭和三六年八月八日から受診し、高血圧との診断が続いている(甲七三の二の三)。

(2) 乾燥工程勤務中について

昭和四二年に乾燥工程に移った以降も、昭和四五年前半ぐらいまではほとんどの検査で最高血圧一五〇以上、最低血圧九〇以上の数値を記録していた。昭和四四年一一月八日の定期健康診断から以後は健康診断録の傷病面の欄に高血圧症の記載がなされるようになり(甲七三の二の二)、昭和四五年七月一〇日には血圧降下剤であるシンナロイド(甲三三の七)の投与を受けた(甲七三の二の四)。

昭和四五年一〇月三一日から昭和四七年三月二八日の間は、概ね最高血圧で一六〇以下、最低血圧で一〇八以下の数値で推移しているが、その間前記エシドレックスや血圧降下剤であるエシドライ(甲三三の三)を継続して投与されていた。

(3) 工程係勤務以後について

昭和四七年四月以降血圧降下剤の投与は中止されたため、工程係に移った同年一二月以降、しばしば最高血圧で一六〇以上を記録するようになり、特に退職直前の昭和五二年五月一七日には(当時、原告は開発推進室に配置替えとなっていた。)、最高血圧で一八〇を記録して再検査を受け、以後は、退職後も含めしばしば最高血圧一七〇以上の数値となっている(甲七三の二の二)。

(二) 尿蛋白の推移

原告は、昭和三六年五月九日の定期健康診断で尿蛋白が異常値である(証人樺島(二回目)二八項)(±)を示し(甲七三の二の二)、その後、昭和三七年二月六日にやはり異常値である(+)を記録し、昭和三八年七月二三日から昭和四〇年一二月一七日までほとんどの検査で(+)あるいは(±)を記録している。昭和四一年九月二一日にも(+)を記録し、同月二九日に腎機能検査を受けている。

乾燥工程に移った昭和四二年以降も、同年一月二〇日に異常値を示す(痕)が記録され、その後、昭和四五年七月一〇日まで(+)、(±)、(痕)がかなり高い頻度で記録されている。

その後約二年間は(一)が続いていたが、昭和四七年七月一四日の検査で(痕)が記録され、それ以後、工程係に移った後の昭和四八年一一月七日までほとんどの検査で(痕)を記録していた。

昭和四九年以後は、同年五月一四日、同月二七日に(微)を記録しているほかはおおむね(一)が続いている(甲七三の二の四)。

(三) 自覚症状、神経学的所見

原告は、昭和三五年四月二〇日の高血圧者健康診断で頭痛、不眠を訴えて投薬治療を受けて以来、幾度か頭痛、不眠を訴え、頭痛薬や鎮静剤の投与を受けている。また、倦怠感も昭和三六年七月二一日の高血圧者健康診断で訴えて以来、ときどき症状を訴えており、昭和四一年三月一四日には全身倦怠、下肢倦怠を訴えて、投薬治療を受けている。また、昭和三五年五月一三日、昭和四五年三月一三日には物忘れを訴えている。

また、原告は、昭和四〇年一二月一七日、昭和四一年三月一四日の定期健康診断では、膝蓋腱反射がツープラスとなっており、昭和五二年六月二三日には、膝蓋腱反射、アキレス腱反射の異常及び足クローヌスが認められ、同年一一月一二日にも膝蓋腱反射に異常が認められ、錐体路障害を示す所見が現れている(甲二一一、証人樺島(二回目)五三〜五九項)。

(四) 眼の異常

(1) 原告は、訴外会社八代工場の昭和四七年七月一四日の特殊検診における眼底検査では異常は認められなかったが(甲七三の二の三の六頁)、昭和五二年五月一七日の定期健康診断で右の眼底に交叉現象が認められている(甲七三の二の二の一二頁)。

また、原告は、昭和四八年一二月三〇日には物が二重に見え、翌日にはおさまったものの、頭がぐらぐらする感じがしたため、昭和四九年一月四日に堀内眼科医院を受診した。同医院の堀内四齢医師は、両眼網膜血管硬化症、近視性乱視と診断するとともに、微細動脈瘤又は点状出血のいずれであるか断定できない極めて微小な赤点を認め、糖尿病等の有無について神経的内科的精密検査を受けるように指示している(甲四六、二〇四の二〇五頁以下、乙二の二の二三頁以下)。

(2) 訴外会社八代工場では、定期健康診断において視力測定が行われているが、原告は、昭和二九年四月一三日の検査では右0.5、左0.8であり、その後も、右0.8、左1.0(昭和三〇年五月九日)、右0.6、左0.8(昭和三一年五月一四日)、右0.8、左1.0(昭和三二年五月一二日)、右0.8、左0.9(昭和三四年五月二二日)であった。ところが、昭和三五年五月一三日には右1.0、左1.2となり、それ以降昭和四〇年四月三日の検査まで右がおおむね1.0、左が1.0ないし1.2となっている(甲七三の二の二)。

昭和四二年に乾燥工程に移った後、退職するまでの間は、右が0.7(昭和五一年四月一五日)ないし1.5(昭和四九年五月二七日ほか)、左も0.6(昭和四七年一〇月二七日ほか)ないし1.5(昭和四七年五月一八日ほか)とかなりのばらつきがみられる(右同)。

(五) 現場産業医の判断

訴外会社八代工場においては、年四回の健康診断(定期健康診断を二回、二硫化炭素特殊健康診断を二回)を実施し、その結果を産業医が総合的に判断して管理区分を判定し、それぞれ管理区分に応じた措置をすることとされている。すなわち、異常なしを意味するA、異常所見軽度を意味するA'、異常所見が二硫化炭素曝露による疑いがあるか、二硫化炭素によらないと断定できないもので、休業・療養は不必要なものを意味するB、異常所見が二硫化炭素によると考えられ、休業・療養が必要とされるCなどに区分される(甲一〇六の一五、一六頁)。

原告は、高血圧病により昭和三九年にはB、昭和四四年にはCに区分されていたところ、昭和四五年三月一三日の二硫化炭素特殊健康診断で、A'とBの限界領域を意味すると解されるB1-2(当時の表記)とされ、その後、昭和四六年三月一八日にB1(当時。現在のA')、昭和四七年七月一四日にB1-2(当時)、昭和四八年三月一二日、昭和四九年四月一五日にそれぞれA'、昭和五二年六月二三日にBに区分されている(甲七三の二の三及び四)。

2  脳梗塞の発症及び現在の健康状態

末尾括弧内掲記の各証拠によれば、以下の各事実が認められる。

(一) 脳梗塞の発症

昭和五七年四月一日ごろ、原告は、頭重、頭部動揺感などがみられたため、同月二四日、望月医院において高血圧症及び脳梗塞との診断を受けた(甲二〇四の一五七頁、一九三頁以下)。同月二七日、熊大附属病院において精査した結果、軽度の言語障害、両側の膝蓋腱及びアキレス腱の反射亢進、クローヌスが認められ、同様に脳梗塞、高血圧症と診断された。同年九月二八日、同病院の外来で診察を待っている間に痙攣及び意識障害を起こし、CT等の検査を受けた結果、以前の脳梗塞巣を焦点とする痙攣と診断され、同年一〇月一日、くわみず病院に入院した(甲二〇四の一九一頁以下)。

(二) くわみず病院樺島啓吉医師の診断(甲三、証人樺島)

(1) 神経学的所見

歩行では左足を引きずり、左下肢の粗大力低下。両側膝蓋腱反射、アキレス腱反射が亢進し、両側膝及び足クローヌス陽性、左バビンスキー反射の陽性が認められる。

また、一直線上歩行が不安定、マンのテスト陽性、しゃがみ試験で踵の拳上がみられないなど失調症状が認められる。

構音障害、両手のふるえ、左同名半盲、構成行為がやや拙劣。また、知覚系では、両肘、両下腿以下に触・痛覚鈍麻が認められる。

右のような神経学的所見は、脳の血管が障害された結果生じたものであると判断される(証人樺島(一回目)八五項)。

(2) 精神医学的所見

表情は茫乎として弛緩状、疲労状、無気力。感情面では涙もろく、いらいら感がみられ、意欲面は根気がなく、意欲面の低下がみられる。

知的機能は全般的に低下している。

このような精神医学的所見も脳血管障害により生じたものと判断される(証人樺島(一回目)八七項)。

(3) 検査所見

① 肝機能検査の結果のうちでは、GPTが七八IU/l、LAPが一〇三IU/l、γ―GTPが一五九IU/lとやや異常値を示しており、軽い肝機能障害が認められる(同八八項)。

② 尿蛋白、尿中ウロビリノーゲン等腎機能の検査結果では、尿中β2ミクログロブリンが三三八μg/l(正常値五〜二五三μg/l)と異常値を示し、軽い腎機能障害が認められる(同一四四〜一四八項)。

③ 五〇グラム糖負荷試験、空腹時一〇二mg/dl、三〇分値一六〇mg/dl、六〇分値二一〇mg/dl、一二〇分値一二五mg/dlで境界型糖尿病パターンを示している。

(4) 脳波所見

汎発性スローαパターンにθ波の混入が認められ、軽度異常が認められる。

(5) 頭部CTスキャン

右側頭葉から後頭葉にかけて梗塞像、左尾状核に点状梗塞像が認められ、シルヴィス溝の拡大、第四脳室の拡大がみられる。左尾状核の点状梗塞像は、多発性脳梗塞を示す所見であり、シルヴィス溝の拡大、第四脳室の拡大も、脳の萎縮、皮質下の梗塞像を思わせる所見である(甲一二、一八、証人樺島(一回目)一〇七〜一一二項)。

(6) 眼科所見

視野が両耳側において六〇〜八〇度とやや狭く、また、滑動性眼球追従運動において階段状波形が見られた。これらは脳に障害が出たときに出る所見である(甲二、証人樺島(一回目)九四〜九六項)。

そして、樺島医師は、昭和五七年一一月一〇日付けで、右の各所見と原告の二硫化炭素曝露歴、発症時期等を総合し、原告は、明らかに脳血管型慢性二硫化炭素中毒症であると診断している(甲三)。

(三) 熊大原田正純医師の診断(甲四、証人原田)

(1) 現在症状

鈍重で緩慢、弛緩、浅薄、疲労状、無気力。暗く抑うつ的で、涙もろく、感情失禁。記憶・記銘力低下および思考障害を中心にした中等度の痴呆がみられる。

眼球運動不円滑。右軟口蓋軽度低下、発語困難、言語不明瞭(爆発性)。右ホフマン現象陽性、上肢では右側に反射亢進、下肢は両側亢進、両側膝クローヌス陽性、足クローヌス陽性、筋力は上肢で、-1(左握力一八キログラム、右握力二二キログラム)、下肢-2から-3程度。振戦は両手指にみられ左側に強い。動作はすべて緩慢、拙劣。直線、つぎ足歩行動揺。マン現象陽性、片足立ち不能、膝踵試験の障害(脱力のためと思われる)など起立歩行障害がある。四肢末端に強い感覚障害及び左半身に強い感覚障害。手掌発汗過多。高血圧(一九〇―一〇四ミリ水銀柱)、心障害(心雑音)。

(2) 原田医師は、右の各所見から、両側性(多発性)、しかし左側にやや優位な脳梗塞を思わせる臨床症状が主症状であって、高血圧、心筋障害、多発神経炎を伴っていると判断し、原告の二硫化炭素曝露歴、発症の経過、特に梗塞が多発性で反復性、比較的小さく、卒中発作のような長時間の意識消失発作を伴っていないこと等から、血管型慢性二硫化炭素中毒に特徴的とされる眼底所見は確認されていないものの、原告は典型的な血管型慢性二硫化炭素中毒であると、昭和六〇年八月二日付けで診断している(甲四)。

(四) 原告の眼底所見

(1) 眼科専門医の久冨木原医師は、原告の眼底所見について、直像鏡で左眼黄斑部中心窩よりやや下方に複数の赤色点が認められため、螢光眼底造影を行ったところ、右赤色点に一致して螢光充盈像が認められたところから、この赤色点は出血ではなく、いまだ器質化していない内腔を持った毛細血管瘤と考えられたとして、昭和六三年三月一七日付けで左眼黄斑部毛細血管瘤と診断している(甲五、四七、五三、証人久冨木原(一回目)一〇八項)。

(2) さらに、同月二八日、くわみず病院から依頼を受けた熊大附属病院眼科でも、同様に左眼黄斑部近くに検眼鏡的に微細動脈瘤と思われる病変が認められ、螢光眼底写真でそれが微細動脈瘤であることが確認されている(甲六、七、五三)。

(五) 視神経障害(色覚異常)

(1) フィンランドのヘルシンキ大学のライタは、一〇〇色試験によって、二硫化炭素蒸気に曝露する職場に働く、まだ症状のない労働者を対象に色覚の検査を行ったところ、通常の約二倍の色覚異常者が出ていることを確認した(甲五六、証人久冨木原(一回目)一九一〜一九三項)。

(2) 久冨木原医師は、右ライタの研究をヒントに、訴外会社八代工場の慢性二硫化炭素中毒症の患者を対象として、一〇〇色試験、中心フリッカー、アーデン・グレイティング・チャート、眼底検査、電気生理学的検査を第一段階で行い、さらに対象を労災の認定患者のみにしぼって網膜視感度の測定、TTEの検査を第二段階として行った結果、慢性二硫化炭素中毒症の認定患者には視神経炎による色覚異常があることを確認した。そして、原告にも、他の認定患者と同様にかなり強い後天性の色覚異常が確認された(甲五九ないし六三、七〇、証人久冨木原(一回目)一九一〜一九三項、二四三〜二五二項)。

四 業務起因性の判断

労災保険法にいう「業務上の疾病」とは、当該業務に起因した疾病であり、これが認められるためには当該業務と当該疾病との間に相当因果関係があることが必要である。そして、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度は通常人が疑義を差し挾まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最高裁昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁)から、原告の疾病が二硫化炭素蒸気の曝露に起因したという関係を是認し得る高度の蓋然性が証明されているか否か以下に検討する。

1 原告の二硫化炭素曝露状況との関係

前記一4において認定したとおり、昭和三七年から昭和五三年までの訴外会社八代工場における二硫化炭素濃度の定期測定、自主測定の結果では、原告が入社以来一八年六か月間勤務していた精練工程では、二硫化炭素の濃度は、最高値で一八ppmであり、年平均値はいずれも8.7ppm以下であることからすると、年平均値濃度は慢性二硫化炭素中毒症と認定されるための認定基準の定める十数ppmよりも低いことになる。しかしながら、前記一4(二)で認定したとおり、昭和二五年から昭和二七年の人絹製造工場における紡糸、製錬室の二硫化炭素濃度は、平均値で一二ないし一八ppmとなっていること、また、訴外会社の八代工場では、カッター台や精練機に付けられていたビニールカーテンの長さが、昭和三七年になって当初の短いものから長いものに付け替えられ、工場の職場環境が次第に改善されてきていること、昭和三九年一一月二七日、訴外会社側及び組合側双方の立会いの下で熊本労働基準局によって行われた測定結果では、原告が勤務していたカッター台の周囲で、一八ppm(ビニールカーテンを閉じた状態)ないし二〇ppm(ビニールカーテンを開いた状態)が記録され、同一フロア内のその他の部所には、更に高濃度の二硫化炭素濃度が記録されている箇所があること、そして、右測定が行われた後、熊本労働基準局長から訴外会社に対し、職場環境の改善等について勧告がなされていることを考慮すると、原告が入社した昭和二三年当時から昭和三六年ころまでは、原告の職場における二硫化炭素濃度は、右昭和三九年の測定結果よりも更に高かったであろうと推認することができる。

そうすると、原告は、少なくとも昭和二三年六月から昭和四〇年ごろまでは、日本産業衛生学会の定める昭和五〇年における許容濃度の一〇ppm及び認定基準の定める濃度を優に超え、さらには同学会の昭和四四年ころにおける許容濃度の二〇ppmをも超えるか、それに近い濃度の二硫化炭素に曝露し続けていたと認められ、これに、原告と同じく精練工程に勤務し、その期間が原告より短い一三年七か月であった赤星良祐が、昭和五二年三月、二硫化炭素中毒症と認定されていることを合わせ考慮すれば、原告のこのような曝露歴は、二硫化炭素中毒症を発症するに十分なものというべきである。

この点に加え、原告は、乾燥工程、工務係へと職場を移った後も同様に二硫化炭素に曝露していた旨主張する。たしかに、前記一3の(四)ないし(六)で認定のとおり、乾燥工程は紡糸、精練工程と仕切りのない同一の建物内であるから、紡糸、精練工程で発生した二硫化炭素が、空気より重いという性質(甲一〇〇の三九頁)から床面近くに滞留し、乾燥工程にもある程度広がってきたことも十分考えられるところであるし、原告は乾燥工程に勤務中、再精練の作業も行っていたことも認められる。しかし、レーヨン製造工程中、紡糸工程で回収されなかった二硫化炭素が常に発生する精練工程で、常時カッター台付作業や精練台付作業に従事していた場合と比較すると、右再精練に従事する場合の頻度は低く、二硫化炭素に曝露する機会は当然少なかったというべきである。そして、前記二4で認定したとおり、原告が乾燥工程に勤務中の昭和四四年には紡糸機全体及び捲縮槽が現在のように密閉され、二硫化炭素回収設備も設置されたのであるから、紡糸、精練工程がビニールカーテンでカバーされていた当時に比べて二硫化炭素の工場の建物内への漏出が減少し、乾燥工程に及んでくる二硫化炭素の量も減少したというべきである。まして、工程係、開発推進室に勤務していた時期は、二硫化炭素の漏出量も曝露する機会も更に滅少していたとみるべきである。したがって、これらの期間に二硫化炭素曝露があったことは否定し得ないとしても、精練工程に勤務していた期間に比べれば、その曝露はわずかであったと考えられる。

2 そこで、右二硫化炭素曝露の事実を前提に、前記三1、2において認定した原告の疾病の状況との関連を検討する。

(一)  原告は、入社七年後の昭和三〇年(当時二七歳)、既に高血圧状態となり、昭和三三年からは訴外会社八代工場において高血圧者として健康診断を受け始め、昭和三四年には高血圧について投薬治療を受けるようになったが、その後も、精練工程勤務中及び乾燥工程に移った後の昭和四五年前半ぐらいまで高血圧状態が継続していた。そして、二硫化炭素には動脈硬化性の変化を助長し、高血圧症を引き起こす性質があること(甲一、八一の六頁)、原告には高血圧と関連があると考えられる家族歴は認められず(甲三〇一、三〇二、乙七など)、体質的に高血圧の素質を有していると認め難いこと、その他飲酒歴等原告に高血圧症を生じる原因は証拠上認められないことを考慮すると、原告の高血圧症は、訴外会社八代工場において勤務中、二硫化炭素を長期間曝露することにより生じたとみるのが合理的である。

(二)  原告は、尿蛋白について、昭和三六年五月に異常が認められ、昭和三八年七月から昭和四〇年一二月までは異常値が継続している。その後、一時正常値に回復したが、乾燥工程に移った後の昭和四二年一月から昭和四五年七月まで異常値を数多く記録している。また、昭和四〇年ごろからは、錐体路障害を示す所見が認められている。

その後、訴外会社八代工場を退職する直前の昭和五二年には、再び高血圧症が進行していたが、昭和五七年に以前の脳梗塞巣を焦点とする脳梗塞を発症し、全身の諸症状を検査した結果、脳血管障害に基づく症状であると樺島医師に診断され、昭和六〇年、原田医師も同様の診断を下し、昭和六三年には久冨木原医師らによって眼底に微細動脈瘤が確認されている。

ところで、昭和五二年五月一七日の眼底検査では微細動脈瘤は見つからなかったようになっているが、昭和六三年に発見されたものも検眼鏡でも見落とすくらいに小さなものであり、当時検査した眼科医が見落とした可能性も否定できないから(証人久冨木原(一回目)一三五〜一四〇項)、その当時、原告に微細動脈瘤がなかったと断定することはできないというべきである。

さらに、久冨木原医師により、慢性二硫化炭素認定患者に高い頻度でみられる後天性色覚異常が原告にも認められている。

そして、一般の動脈硬化と違った慢性二硫化炭素中毒症の特徴としては、若年時から発症すること、症状がほぼ全身的に出現すること、軽度の脳梗塞が繰り返される場合が多いことが挙げられるところ(証人原田(一回目)六六項)、右に指摘の原告の症状の経過は、右要件にあてはまると考えられる。

右の事実を総合すれば、原告は、精練工程に勤務していた間に、相当な濃度の二硫化炭素に継続的に曝露した結果、慢性二硫化炭素中毒症の本体たる動脈硬化症を生じ、乾燥工程に移った後も、曝露する二硫化炭素の濃度が幾分低くなったため、症状は急激に進展しなかったものの、全身の動脈硬化が少しずつ進み、退職後の昭和五七年になって、加齢を原因とする動脈硬化の進展ともあいまって、脳梗塞の形で発症したものと認められる。

この点に関し、後藤稠は、二硫化炭素蒸気曝露から離脱した後五年内に発症したか否かで二硫化炭素蒸気曝露によるものか否かを区別する考え方を採っている。しかしながら、曝露から離れれば症状が軽快するという量反応関係が成立するのは、中毒症の初期段階であり、慢性期すなわち、長期間の曝露による血管等の変化を来した場合には、曝露から離れても症状は独自に進行してゆくのが普通であると考えられていること(証人原田(一回目)五七項)、血管障害型の慢性二硫化炭素中毒症では、曝露から離れても加齢と共に症状が悪化し、予後不良の例が多いこと(同(一回目)七五項)、後藤も五年以内という区切りについては何ら確定した医学的根拠があるわけではないことを自認していること(証人後藤(四回目)一七五項)に照らせば、右考え方は採用できない。

3 これに対し、被告は、原告の尿蛋白について、過去のある時期に陽性の反応を示したのに、特段の治療を施すことなくその後陰性に転じ、その後も何ら異常な所見が出ていないのは、二硫化炭素により腎臓の細小血管に硬化性の変化が生じていないとみるほかはなく、これは慢性二硫化炭素中毒症は全身に動脈硬化が生じてくるから細小血管に影響が出やすい特徴を有するとの原告の主張に矛盾する旨主張する。

しかしながら、原告は、昭和四〇年一二月まで尿蛋白に異常値が認められた後、一時正常値に回復したものの、昭和四二年一月から再び異常値が認められていることは前示のとおりであるから、被告の右主張は前提事実に欠けるといわざるを得ない。また、一度腎障害が生じても、通常の器質的変化の場合は、機能的に回復して尿蛋白が出なくなることもあり得るのであって(甲二一一、証人原田(一回目)四六項、同(二回目)一八項、一九項、同樺島(二回目)一五六項)、それだけで二硫化炭素曝露との関係が否定されるものでもない。よって、被告の右主張は採用することができない。

4 以上検討してきたところによると、原告の疾病は、業務に起因する蓋然性が高いというべきであり、労基則三五条の業務上の疾病に該当するものと認めるのが相当である。

ところで、被告が原告を慢性二硫化炭素中毒症でないとして労災申請を棄却した際に最も依拠したのは被告が依頼した鑑定人後藤稠の作成にかかる原告の症状が二硫化炭素蒸気曝露に起因するものでないとした鑑定書(乙七)である。確かに後藤が二硫化炭素中毒症の疫学的研究者として世界的にも実績のある著名な学者であることは否定しないし、認定基準作成についても委員会の委員として草案を作成するなど深く関与していることも認められる(証人後藤(一回目)四二〜四四項)。しかしながら、同人は全くといってよいほど二硫化炭素中毒症についての臨床医としての経験がなく、右鑑定書作成に当たっても原告本人からの問診を行っていない上に、鑑定書作成当時、既に原告が二硫化炭素中毒による高血圧症に対する治療として降圧剤の投与を受けていたこと、また、昭和四五年から産業医により管理区分B1-2ないしA'とされていたことなどが記載されている特健個人票(甲七三の二の三)、高血圧者検診録(甲七三の二の四)、診療録(甲七三の二の五)等が存在していたのに、訴外会社あるいは被告から提供されないまま鑑定したため(証人後藤(三回目)三一八〜三三二項)、原告の症状が二硫化炭素蒸気曝露に起因するものでないと判断したものと思われ、後藤自身、右のような資料を提供されないでした右鑑定においても、業務上とするか業務外とするかは極めて微妙でその判定に非常に悩んだ旨証言していること(証人後藤(三回目)三〇五項、三〇六項)に照らすならば、右鑑定当時、右資料が提供されていたならば、右鑑定の結論は異なったものになっていた可能性も否定できない。

そして、他に、原告の現在の疾病が業務に起因するものであるとの前記認定を左右するに足りる証拠はない。

したがって、業務起因性を否定した本件不支給処分は、その認定を誤ったもので、違法として取り消すべきである。

五  以上によれば、原告の本訴請求は、理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官江藤正也 裁判官秋吉仁美 裁判官大藪和男)

別紙〈省略〉

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